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とうとうあどに晩年がやって来た。昨年末に起こった発作は、レントゲン検査の結果、脳梗塞によるものではなく心臓と肺の間にできた腫瘍が大きくなり、それが圧迫して、呼吸困難を起こしていたことがわかった。約十日前に二度目の発作が起こしてからは毎日、(昨日は三度目の大きな発作も・・・)アドの様子をみては、一喜一憂している。24時間要介護状態。介護疲れが祟ってか些細なことで言い合ったり。。

ある時、千歌ちゃんが「台所で私たちがゲラゲラ笑ってたら『なになに?なんか楽しそうって、あども一緒に嬉しそうにしていたね」と言った。だから、あどの最期まで笑って過ごしてやりたい、と。僕は全くその通りだと思った。
そんなことを話した翌日...日曜日の午後、nidoの田中君が盛光さんの立派な蕪をお裾分けに届けに来てくれた。

彼とは、年末に挨拶をして以来だ。楽しみにしていた新年会もあどのことがあってキャンセルしていたし。。本当に、久々に、人と話したという感じだった。それこそ、前の日(土曜日)に『(nidoの)料理をテイクアウトできないかな?」と千歌ちゃんが言うので『どうかな?分からない』と答えたと田中君に話すと「全然、構いませんよ」彼は言った。
「暖かく召し上がってほしいから、できたら一皿ずつお届けしますよ」。
スープが冷めない距離とはいえ、本当にいいの?連絡くれたら取りに行くって、と何度も言うけど「大丈夫です」と言って譲らない。

その日の夜は、交代でお風呂に入り、ドレスアップというと少し大袈裟だけれど、お出かけ用の服に着替えた。料理をサーブしてくれる田中君たちに敬意を払いたかったからだ。先に済ませ、部屋に戻った僕は室内の灯りを暖かなダウンライトに切り替え、それから音楽をかけた。テーブルから見えるところで寝ているあどに、聴かせたい曲があった。それは、デヴィッド・ボウイのSpace Oddityという、宇宙に旅立つトム少佐のことを歌った曲だ。なぜ、そんな曲をあどに聴かせたかったのか。…彼女は17年前、〝お利口さんのお星さま〟から、突然、僕らの前に現れた…とよく冗談で話していた。…でも今は、その星に戻ろうとしている…。それで、その曲のことを思い出したのだ。

〝地上管制より トム少佐へ
地上管制より トム少佐へ
プロティンピルを飲み
ヘルメットを装着せよ…〟

別に悲しい曲なんかじゃなく、とても美しい曲なんだな。


最初に運ばれたのは、ワインと人吉鹿のパテ。それからスタッフが代わる代わる料理を持って来てくれた。牡蠣のフリット。甘鯛の鱗焼き。尾長鴨の炭火焼。原木椎茸のリゾット。料理はどれも最高だった。だけど、この日は、田中君、スタッフたちの気持ちと笑顔が一番のご馳走だった。彼らのおかげで、本当に素敵な夜を過ごすことができた。どうもありがとう。
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なかなか、これというシャツがなくて、いつか自分でシャツをつくってみたいと考えていた。SARAXJIJIの野田さんに、そんな話をしたら「ウチでそのシャツをつくりましょう」ということになって、ササッとスケッチを描いて渡した。昨年の9月、パリ7区のアパルトマンでだった。

襟ぐりは、細めのラウンドカラー。第一ボタンを外してもはだけた印象がなく、下のTシャツがだらしなく覗いたりしないように、第二ボタンとのピッチを短くしている。

サンプルが完成形に近づいてきた頃、野田さんから「シャツの名前を考えておいてくださいね」と言われたが、あまりいいアイディアが浮かばない。「あのシャツを一言で言うとなんでしょうね」と野田さん。「一言で言うなら、あれは〝普通のシャツ〟です」。

Ordinaly Shirtは、今月10日からIN THE PASTで開催する「SARAXJIJI A/W EXHIBITION」でサンプル展示(受注生産)で初のお披露目となります。


SARAXJIJI A/W EXHIBITION
身に纏う日常の道具
会期:11月10日(金)ー19日(日)
時間:11時ー18時 (最終日は16時まで)
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◎オープニングスペシャル
齋藤キャメル ソロライブ
長い雨があがる朝のように
11月11日(土)
17時開場
18時開演
チケット:2,500円(+1ドリンク)
※要予約 ※予約は電話又はメールにて
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電話 0944-88-9653
メール c.sadamatsu@permanentbros.com
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日曜日、友人家族の二回目の家族写真を撮った。しかし大牟田は生憎の雨。雨だけど、晴れの日。
一年前、晴日ちゃんは赤ちゃんだった。でも、今年の晴日ちゃんはもう、赤ちゃんじゃない。どんぐりころころも歌えるし、数字だって数えられる。きっと来年は、もっと変わっているはずだ。
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ビルの一階をリノベーションした「IN THE PAST」が完成しました(厳密に言うと、まだちょこちょこと工事が残っていますが、生活するぶんには困ったところはありません)。大きなショーウィンドー、大きなキッチン、大きなテーブルがある僕たちの新しい場所です。

さて、場所を持ったことで『情報発信』の方法をどうするか。この何ヶ月間か随分と考えました。そして、あれこれ考えた結果、昔ながらの方法を採用することにしました。フリーペーパーの発行をメインにやってみたい。それというのも10代の頃に体験したことが大いに関係しています。

僕は17歳まで福岡県の豊前市で暮らしていました。今から30年も前のことですから、かなり昔のことです。インターネットも携帯もなかった時代です。情報を手に入れる手段は、新聞・ラジオ・テレビ・雑誌や本です。あるいは、友人や誰かの話からも。懐古主義かも知れませんが、そうして得た情報には体温があったように思います。僕の場合、主に書店に通って情報収集していたように思います。母親も本を買うためのお金はあまり渋りませんでした。

中津という町に明屋書店という本屋がありました。僕の住んでいる町から三駅ほど離れており、お昼から閉店までいたように思います。書物の他にレコードやミュージックテープも置いていて小さな町の書店よりも充実していました。明屋書店は、田舎に住む僕にとって、唯一、文化の香りのする場所だったわけです。所謂、メインストリームの情報は、中央で出版されていた本や雑誌から得ていましたが、その他に地元の若者(僕よりは随分上の世代でしたが)が作っていた、無料で持ち帰えることができるミニコミ誌、今で言えば、ZINEが置いてあり、そこから多大な影響を受けたのです。今思えば、漫画を題材にしたミニコミ誌だったと思います。当時、漫画と言えば、週刊ジャンプ・マガジン・サンデーが主流でしが、そのミニコミ誌には、つげ義春、諸星大二郎、といったガロ系の作家、漫画アクション、漫画奇想天外などのマイナー雑誌に寄稿していた大友克洋といったニューウェーブの作家などを特集に取り上げていて、メインストリームにはない世界観に、僕はすっかりはまってしまったのです。以降、僕の趣味は大きく変わって、スターログという雑誌を買いそろえ、ジャン・ジロー(メビウス)やエマニュエル・ギベールといった作家のグラフィック・ノベルと呼ばれる、ストーリーも絵もシリアスで芸術性の高い作品を嗜好するようになりました。またそこから派生して、別のカルチャーを取り込んでいくといったような、幾つもの細胞分裂を経るきっかけになったのが、そのミニコミ誌だったのです。そうした田舎町にいる少数派でマージナルな人たちによって自分の世界が広がるという、僕にとってその原初的とも言える体験でした。

今回、発行する折り本「イン・ザ・パスト」(別冊/上記写真)は、僕らが何者で、この街でこの場所にどういうアイディアを持っているのかといった、IN THE PASTのステートメントをまとめたものですが、今後は、Hello, world! (直訳すると、「こんにちは、世界」ですが、これには「世界は美しい」というニュアンスを込めています)をテーマに、ジャンルを問わず、様々な特集を企画したり、IN THE PASTで行うイベント情報などを掲載していく考えです。大牟田市内、福岡市内、熊本市内各所にて配布します。配布先など詳細は、IN THE PASTのフェイスブックページなどでお知らせしますね。
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マオさんとアーロンが (Click!) 日本中をあちこち旅している。京都にいるかと思うと岡山に。岡山から別府。別府から湯布院、湯布院から福岡。福岡にいるかと思えば、もう兵庫にいる。Instagramで、彼らの縦横無尽に移動するポストを観ていると、こちらまで旅をしているような心持ちになる。そんなマオさんとアーロンから、またプレゼントが届いた。時間が無くて二人には会えないけれど、僕らは日本にいるよ、という彼らなりの挨拶。

お母さんと植えたバジルが大きくなった。毎年、せっせとジェノベーゼにしてもらってから、それを頂いていた。今年は、一緒に育て、沢山、ジェノベーゼソーズをつくる予定。来年の4月〜5月頃まで、ソースのストックが出来る算段である。トマトソースには欠かすことができないし、何しろ、僕は、自分が入る棺には、呉々もバジルを入れてくれと、常々、周囲に頼んでいるくらい、バジルが好きである。本気にして貰えないから、懲りずに言い続けておかないと、到頭、つまらん花を入れられては、一生頭を掻き毟る羽目になる。

大牟田に来ても、相変わらず外で食べることは少ない。近くの居酒屋とイタリアン、商店街に新しくできた中華料理のお店に行ったくらいで、やはり家で作って食べる料理が一番美味しい。しかし、豚骨ラーメンというやつは、突如の如く食欲を刺激し、頭の中で食べたい、と一寸でも油断したが最後、もう何が何でも食べたくなるものだ。
最後に豚骨ラーメンを食べたのは、確か、昨年の三月頃。箱崎宮の近くの花山という屋台だった。無化調で舌にも胃にも優しかった。ここのところ無性に豚骨ラーメンが食べたくなっていた上に、お母さんが一人抜け駆けして、福龍軒に行ったと聞いてからは、もうずっと福龍軒のことしか考えられなくなっていたが、先日、漸く、念願の大牟田ラーメンを腹中に収めることができた。麺が少し柔らかいのが気になったけれど、スープは塩辛くなく、円やかで、臭味がない。それは店の中も同じで、大変清潔で、豚骨独特の臭いは何も感じない。昼時ということもあってか、店内は大層混雑していたけれど、活気のあるお店は、逆に居心地が良いから不思議なものだ。因みに麺は「硬麺」と言い付けると、気軽に応じて呉れる。