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先月28日、福岡市から大牟田市へ引っ越しました。

仕事先の殆どが福岡県以外ということもあり、打ち合わせのために顔を合わせることも少なく、ネットと携帯さえ繫がれば仕事場は福岡でなくてもどこでもいいという環境が数年前から整っていました。また、デザインの仕事だけでなく、PERMANENTをはじめ他の活動を行うための場所が必要になっていたこともあって、本格的に物件探しを始めたのが3,4年前からでした。最初はうきはや吉井あたりののどかな田舎などに物件を探してみたのですが、これという出会いがなく、思案の末に選んだのが妻の実家がある大牟田だったというわけです。

実家は商店街に面した古い三階建てのビルで、一番上に妻の両親が住んでいます。僕たちは一階を改装して、そこに新しい拠点を作る計画を立てています。そこは15年前まで両親が生活雑貨と調理用具のお店を営んでいた場所です。

お店の前には街一番のデパート(松屋)がありましたが、今は建て壊されて駐車場になってしまいました。商店街はシャッターが閉められていて人通りは殆どありません。しかし、僕はシャッターが閉まったままの今の大牟田しか知りませんし、自分的にはとても心地の良い静かな場所です。

夕陽が沈む頃、影は一斉に東に伸びて、まるで、デ・キリコの絵画のようにシュールな表情を浮かべます。至るところに見られる壊れかけの建物を保護するためのシートは、クリストとジャンヌ=クロードの仕事を彷彿とさせますし、写真写りの良いサーフェス(表面)になっています。アスファルトはどこも劣化していて、雨が降ると水溜まりになってとても歩き辛い。けれども何もかもが綺麗に整備された街に比べると退屈しませんし、寧ろ身体感覚が刺激されるのだと気がつきました。
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ここに夏頃完成する僕たちの空間(スタジオ)が、この街とどんな関係を築いていくのだろう、と散歩をしながら、度々、考えています。僕たちがやろうとしていることが、どれほどの価値があることなのは分かりませんが、ROAST (Click!) やPERMANENT (Click!) の時のように、好奇心と直感に従い「出来事と経験」を肥やせる機会を、一つでも多く作っていける空間になればいいなと考えています。もちろん一番は僕たち自身のためにそうしたいのですが。

そんなことを考えていた時に、ふとある言葉が脳裡に蘇ってきました。それは、2005年 スタンフォード大学の卒業式で行ったApple創設者スティーブ・ジョブズ氏のスピーチの中の一節です。最後にその言葉を下記に引用しておきたいと思います。

〝点と点の繋がりは予測できません。後で振り返って、点の繋がりに気付くのです。今やっていることがどこかに繋がると信じてください。何かを信じてください。あなたの根性、運命、業、何でも構いません。その点がどこかに繋がると信じていれば、他の人と違う道を歩いていても自信を持って歩き通せるからです。それが人生に違いをもたらします〟



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昨年6月に広島のCite' で見た小山さんの作品「木円」があの時以来ずっと気になっていて (Click!) 、元日から同ギャラリーで開催の『小山剛 木工展 「33の木々」』 (Click!) を観に行った。新しい年を迎えて、元旦の雰囲気だけでも味わいたかったので簡単にお節と雑煮を食べて車に乗り込んだ。11時に家を出て広島に着いたのが15時半。なんとなく想定していたのだけれど、元日は車の混雑が少なく、やはり正月に動くなら一日が正解だと思う。(但し、神社以外の場所に限るだろうけど)何より、馬鹿みたいに天気が良くてドライブにはうってつけだった。

小山さんに会うのは実に4年半振り。香川で一瞥しただけだったが、今日までゆるやかに繋がっていられたのは、言うまでもなく彼が産み出す作品が素晴らしかったことと、SNSの恩恵といえるだろう。

重力を無くしたように中空に浮かぶ「木円」は、小山さんの飄々とした掴み所のない雰囲気とどこか似ている。4年前は、盆や皿といった日常の道具を作っていて・・・まあ、それは今も制作しているのだけれど、この「木円」はそういった道具としての機能は排除されていて、彼の作品群からは一線を画した唐突な印象を感じたのだが、何故かとても気になる作品だった。しかし、しばらくオブジェクトを眺めていて、はたと気がついたのだ。楽茶碗や茶匙などの茶道具を作っていた彼ならば、きっと茶道に通じているはず。だから、もしかしたら茶席の掛け物で使われる禅の書画「円相(円窓)」から「木円」のモチーフを得たのではないかと考えが及んだ。それで少し円相について調べてみた。

〝円相とは空・風・火・地を含む世界の全体、究極の姿をあらわしたものと言われ、悟りや真理を象徴的に表現した形だと考えられている。また、円は欠けることも、余すところもない完全な形状をしているところから、始まりもなければ終わりもない無限の宇宙の象徴でもある。しかし、悟りの境地を説明したり、文字で表現したりすることが禁じられている禅に於いて、「円」がどのように見えるかは見る者の解釈に任されている。(※円窓と書いて「己の心をうつす窓」という意味で用いられることもある)〟

もしも、一枚の木板から刳りぬいたこの「木円」が、禅を極め悟りを表す「円相」をモチーフに作られた作品だとしたら...と考えると、僕は至極合点がいくのである...。しかし、まあ、真意はどうであれ、観る側の愉しみ方は人それぞれ。寡黙に浮く円環について、多くを語るのは野暮というものかもしれない。

僕らはCite'に着いた瞬間から目に入ったお気に入りを一つ購入し、そして、そのまま福岡へと蜻蛉返りした。広島にいたのは僅か40分程度だったが、往復9時間を費やしても見る価値は十分あったと思う。僕自身、こんなふうに元日を過ごすのは48年間の人生で初めで、とても新鮮な経験だったし、かなり充実した一日を過ごせて満足だった。

そういえば、禅には「禅即行動」という言葉があるそうだ。〝考えるよりもまず「行動」する〟という意味の禅語で、今年はこの日過ごしたように、自分の心に何か蠢くものを感じたら躊躇することなく、〝思い立ったが吉日〟の如く、考える前に動く、「禅即行動」の一年にしたいと思うのである。
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12月25日。世間ではきっと思い思いのクリスマスを楽しんでいることだろう。

今日、僕は48歳になった。ようやく本当の「年男」だ…と言っても、6日後には酉年になってしまう。だからと言うわけではないが、誕生日の晩餐は〝鶏〟を食べることにした。

数年前から、僕の誕生日には「僕が食べたいものを僕が料理する」ことになっている。前日から近くの精肉店で予め買っておいた三羽分の鶏がらを、きばって4時間炊いて濃厚な白湯スープを摂り、博多風の水炊きを拵えた。見事に白濁したスープは最高の出来。このスープでラーメンを作ったら一体どうなってしまうんだろうね、と二人で話ながら鍋を突いた。

◎経験の唄

長畑君からいつものように誕生日のメッセージとYoutubeのリンクが届いた。iPhoneから流れてきたのは「経験の唄」という僕がとても大好きな曲のミュージックビデオだった。しかも、僕はその曲を数日前に聴いたばかりだったから、相変わらず彼はジャストタイミングな選曲をするなあと感心した。

そもそも、この曲はどんな思いで作られたのだろうと気になって、ネットで調べてみると誰かが書いた「経験の唄」についてのライナーノーツを見つけた。そこには〝共にあるものすべてへの限りない慈しみと赦し、そこにあるものを受け入れると同時にそこで出来る限りの誠実な生を生きようとする意志〟と書いてある。もちろん、オフィシャルなライナーノーツではないから真意の程は定かではない。

前項の「IN THE PAST (Click!) 」を書くときに、僕は「出来事と経験」を包括できる言葉を探していた。特に「経験」については、僕がローストやPERMANENTを始めてから特に意識してきたキーワードだった。その意識の燃焼にあらたな薪を焚べるように、ある時、僕の目の前にふと立ち現れてきた3つのエピソードについて下記に記しておきたい。

◎「経験」に関する三つのピース

①小澤征爾の言葉
小澤征爾が食道癌の治療から復帰した頃だったので数年前になるが、テレビのインタビューの中で若い人に向けて次のようなメッセージを伝えていたのがとても強く印象に残っている。「テレビで見たり、インターネットで調べたりで世界を知った気持ちになってしまう。確かに私たちが若い頃よりもはるかに海の向こうの情報は入ってきますが、でも、それは他の誰かの体験であって、自分自身の経験ではありません」。

②映画「ベルリン・天使の詩」
人間になったばかりの堕天使ダミエルが20年前まで天使だったピーター・フォークにこんなことを言う「もっと話を!知りたいんだ (この世界のことを)何もかも!」。ピーター・フォークはそんなダミエルに「自分で発見しろ 面白いよ」と言った。

③NHKのドキュメンタリー番組
(前置きが長くなるんだけど・・・)2、3ヶ月前くらいだったと思う。NHK「フェイス」という番組で『フロム・アメリカ〜彼らがヒロシマで見つけたもの〜』というドキュメンタリーを観た。最近、広島市を訪れる外国人観光客が急速に増えているようだ。特に多いのがアメリカ人観光客で去年度は15万人を超えたのだという。弾みをつけたのが今年5月のオバマ大統領の歴史的な広島訪問だそう。また、アメリカの旅行ランキング口コミサイトでは、2012年、2013年と2年連続で、広島の原爆資料館が1位に「訪れて良かった日本の場所」として毎年上位に入っている、“その訪問を忘れることが出来ない”“本当に考えさせられる”と、外国人の増加に拍車をかけていると言われている。

番組では、増え続けるアメリカ人観光客の一日に密着。彼らはどこで、誰と出会い、何を感じていくのか。体験を語る被爆者や、広島にやってきて人生観を変えたアメリカ人教師の姿を通して、彼らが“ヒロシマ”で見つけるものとは何かを探っている。その中で、アメリカ人教師がこんなことを言ったのだ。「僕は先生ですが、一番いい先生は「経験」だと思う。いくら本を読んで頭でわかっていても、心で感じないと・・・」。



2011年の唐津ロースト、そしてその後のPERMANENTの活動で「フィールドワーク」の重要性を意識し始めた頃から、上記の別々のタイミングと別々の人々から「経験」についてのピース(=かけら)が手元に降りてきた。そして、来年2017年、福岡から新しい場所に移動する計画が現実味を帯びたことで、いろいろ考えを巡らしているうちに、先日のブログの内容に繋がったわけだけど、僕の誕生日に友人から送られてきたバースデーメッセージが、たまたま意識を向けていた「経験」という言葉とシンクロしたことに少し驚いたわけである。長畑君、どうもありがとう。
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最近はもっぱら過去に撮った写真を現像し直して楽しんでいる。その当時考えた写真の色味やコントラスト、明暗といったものを、今の気分に再び誂え直すといったような遊びだ。
「写真家は常に過去と付き合って、今の時間に過去を呼び出す毎日を過ごしている」とはある写真家の弁だが、これは何も写真家だけの仕事ではなさそうだ。誰にとっても過去を眺めることは今を考えることでもある。

「過去と付き合う」というと、後ろを向いているような、なにかネガティブなイメージを持つ人もいるかも知れないが、「過去」とは、現在の(或いは『これまでの』」僕たちを形作ってくれた全ての時間の総称だ。「今」という時間は刻一刻と過ぎていて、瞬く間に「過去」になってゆく。上述したように、過去を眺めることは「今(現在)」を見つめることだ。過去の文脈なくして今を語ることは出来ない。そして、重要なのは、現在の状況を踏まえ、過去の出来事や経験を今に呼び出し、その文脈の先にある「未来」の輪郭をなぞってみることだと思う。
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